Case #8 : ダイハード的キャリアの始まり

(日系製造業・国際訴訟プロジェクト)

試練 (Challenge):

  1. 社会人として入社したのは、技術力を誇る日本の製造業。
    編み機と事務機器の分野で海外売上が好調な企業で、同期は約200名。
    私は希望していた海外部門に配属された。
    将来は海外子会社への駐在も志望事項の一つに入れていた。

  2. しかし入社数年後、米国および欧州の業界団体から、価格政策を巡る国際訴訟が提起される。
    当時としては前例の少ない事案であり、通産省(当時)も関与する大きな案件へと発展した。
    私は、その渉外担当の一員に任命された。

  3. 英語は十分とは言えず、法律英語は未知。
    会計は日本語でも理解が浅い。

    英語 × 法律 × 会計。

    三つの領域が交差する現場に、準備不足のまま立つことになった。

物語(Story):

  1. GoogleもAIもない時代。
    分厚い英文資料を前に、何から手をつけてよいのか分からない。

    国内顧問弁護士との連携。
    米国・欧州の法律事務所との協議。
    業界団体内での意見調整。
    通産省との対応。

    社内各部門(経理・製造原価・営業)との数値整合。

  2. 会計が理解できなければ、原価構造を説明できない。
    原価が説明できなければ、価格の正当性を主張できない。

    会社命令で夜学の簿記学校に通うことになった。
    昼は交渉、夜は会計。

    眠気と焦燥の中で、とにかく追いつくしかなかった。

  3.  上長からは「一歩でも引けば終わりだ」と厳しく叩き込まれた。
    背中にナイフを突きつけられているような緊張を抱えたまま、数年間、交渉と調整に奔走した。

    しかし、おかげで、本社海外部門のみならず、本社経理財務部門、工場製造原価管理部門、工場長、経理本部長、文字どおりにクロスディビジョンで動く事の重要性を学んだ。

    工場に足繁く通ったおかげで、製造部門からは珍しい海外部門のやつがいるぞと。

    工場長やラインの人たちに誘われて工場通用門前の赤提灯で色々とものづくりの話を聞かせて貰った。その風景とお世話になった人たちとの話は原風景でもある。

  4.  数年後、政治的解決がなされ、当社の主張は相当部分が認められた。
    当時はただ必死だった。

    多くの人たちとの共同作業がまさに実を結んだ訳だが、負けなくて良かったという思いだけ。

  5. 振り返れば、あの数年間に逃げずに向き合った時間が、後の自分の土台になっていたのだと思う。

学び(Takeaway):

とんでもない事態は、準備が整うのを待ってはくれない。

 

しかし、逃げ場のない状況で踏みとどまった経験は、
その後の意思決定の背骨になる。

 

理解できないことから逃げないこと。
三つの領域が交差する地点から目を逸らさないこと。

 

このときの基礎工事が、その後のキャリアを静かに支えている。